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『ゲシュタルト崩壊』 [素人的且つ鋭利な刃物の様な心理考察]

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 あなたは『ゲシュタルト崩壊』という言葉をご存じだろうか。一つの対象物をジッと見つめていると、徐々にその対象物の形態が崩れて来て、最後は対象物への認識や、その意味までもが分からなくなってしまうという認知心理学上の用語だ。

 この言葉は欧米では結構知られていて、小説や映画やTVドラマなどでも、案外頻繁に出て来る。ただ本来の意味で使われる事は稀で、一人の人間が急激、あるいは劇的に変容をしていく様を描いた作品が多い。または作中で会話のエッセンスとか、はたまたそれとはまったく逆の、パロディかギャグはたまたウイット的にあらゆるシチュエーションで使われる。

 これはパロディにもなるくらいだから、精神病理学的なものではなく健常者にも十分起こり得るというか、元々精神的疾患とは無縁で、あくまでも認知心理学的領域での話である。

 僕には、自宅のトイレの壁をジッと見詰めていたら、壁の模様が波打っているように思えて、慌ててもう一度ジッと目を凝らしたら余計おかしくなったという経験がある。見つめ直したら壁面全体が回転し始めて、これはいけないと思って暫く目を閉じて安静にしていた。そして五分も過ぎた辺りで眼を開けたら壁の回転は終わっていた。

 ゲシュタルト崩壊とは、ある一つのものを見続けると現れるというが、アルファベットやアラビア数字などの単純な形では、こうした視覚崩壊は起こりにくいとされている。

 故に漢字などをジッと見ているとなりやすいと言われている。例えば「時」という漢字をジッと見ていると、「日」と「寺」に分解されて、更に見ていると「日」も「寺」もバラバラに分解され、やがてその(漢字本来の)意味を失って、見ていても意味がまったく分からなくなってしまうというような視覚現象であるらしい。それは何も視覚だけに限らず、聴覚や味覚などでも発生するとのことだ。

 そういう意味では先に挙げた壁の回転はもしかしたら三半規管系かメニエール病的な病気かも知れないと思い、二度ほど医師に診て貰って精密検査をして貰ったが、何も異常は見つからなかった。まあ僕自身がごく普通の人間だとは思っていないので、異常があろうが正常であろうがどちらでも別に驚きはしないが、進行性の病気だと妻に迷惑を掛けるのでそれだけが嫌なのだ。

 僕は、妻であろうが身内であろうが赤の他人であろうが、ひと様に迷惑を掛けたくないという思いが強い。我が儘かも知れないが、僕は人の世話は厭わないけれど、自分が世話をされるのは嫌なのだ。だから介護などたぶん受けないだろうと思う。他人様の世話になるくらいなら自裁した方がマシだ。

 ところで僕がゲシュタルト崩壊を初めて経験したのは、正確にいえば今から五十一年前の中学二年の盛夏六月末から七月上旬に掛けてのことだ。ちょうど期末試験の真っ最中だった。

 昔も今も僕の学習法は、徹底した反復練習によって脳裏に記憶を焼き付けるというオーソドックスなものであった。

 当時の僕のIQは148で突出していた。学年でも成績は常にトップクラスで、得意科目と自負する数科目では、学年でテストの成績でそれまで一番を外した事は一度もないという自負は、何よりも己の自信に繋がっていた。

 そんな僕だが、実は小学校では劣等生かつ問題児として扱われてきて、その時のコンプレックスが持ち前の反発心とも相まって中学生になったのを契機に、心機一転「皆を見返してやる」という気概とモチベーションに繋がったのだと思う。

 因みに148というIQ指数は小学4年生の時全国知能テストの成績で、学年一の劣等生が、実は学年で一二を争うほど知能が高かったという驚くべき結果は、同級生はおろか担任や教職員、教頭、校長まで知るところとなり、一躍時の人となった。

 だが僕の成績がそれで良くなることはなかった。なぜなら僕の成績が悪いのは小五で急遽担任になったオールドミス(定年まであと三年とか言っていた)が、先入観に基づいた偏見の持ち主であったことが原因だからだ。小四の担任は人徳者だったので成績はそこそこ良かったが、その先生は教頭試験に合格して他の小学校に転任になってしまった。代わって担任になったのは、厳格な指導で父兄には人気があるそのオールドミスだった。その新たな担任にはそんなにIQがいいのはカンニングしたからだろうとまで言われた。しかしカンニングなど出来ようはずはない。なぜならその学級で一番IQ指数が高かったのは学級委員長だったが、その学級委員長でさえ、記憶力の項目では満点に遠く及ばなかったが、僕は20の設問をすべて正解していたからだ。しかし人間とは愚かしい生き物だ。先入観でものが正しく見えないのだから。だから容易に考えを改められない。

 当時の僕は常日頃から担任や同級生に軽んじられるどころかイジメまで受けていたが、自分がみんなから言われるように馬鹿ではなかったという事実に戸惑うことはなかった。どんな境遇にあろうと、自分は誰よりも努力していたし、誰よりも色々なことを知っているという自負は当時からあった。自身小四からかなり本を読んでいたし、しかもその読む本自体が児童書などではなく、大人の読む小説主体だったから意識はかなりませていたように思う。

 だから虐める担任教師や同級生を僕は腹の中では逆に見下していた。しかし或る日を境に虐めも一切なくなった。「目には目を歯には歯を」を実践したからだ。遣られたら遣り返す。それ以来僕は泣き寝入りなど一度もしたことがない。

 それから二十年後、結婚式で父から贈られた言葉が脳裏に浮かぶ。『禍福は糾える縄の如し』、悪い事も良いこともそうは長くは続かないと思えば、一時の不遇など大したことはない。当時はそんな言葉も知らなかったし、当然意味すらも分からなかったが、現実問題として良い事が続くよりも、悪い時を過ごす方が長いという思いはあった。それでも人はその短い幸福を求めて止まない。

 小学生の身で無意識というか漠然と、そう達観はしていたのだが、そうであっても僕の小学五年生から六年生に掛けての二年間は、人生でもっとも悲惨だったという記憶は拭えない。ただ環境に恵まれないだけだと分かっていたが、あの試練に耐えられなかったら今の僕はこの世に存在していなかっただろう。しかしその試練に耐えられたからこそ今の僕があり、僕という不屈の魂が今こうして存在しているのだろう。

 この試練の二年間があったからこそ、いつかこの不条理な世の中を見返してやろうと決意したのだ。それには人の何倍も努力し、周りを凌駕する知力を身につけ、何を言われても論破できるくらいにならなければならないと子供心にも思った。そのために、興味があることは他人の二倍も三倍も多くの時間を費やして勉強したし、それ故に人後に落ちないと自負してもいた。

 だがそれでも尚、担任が偏見の塊のような人物であれば学校は地獄でしかない。僕は毎日何かしらの理由で立たされたりビンタを喰らった。それでも挫けなかったのは、持ち前の『なにくそ精神』と『不条理なものへの強い反発心と敵愾心』があったればこそ。当時の僕は挫折することはあり得ないとさえ思っていた。

 暴力を振るわれた時の僕の目は、虎の目のように爛々と輝いていたという。

 しかしそれは敵愾心からではない。謂わば獲物を狙う眼だ。

『目には目を歯には歯を』、遣られたら遣り返すのだ!

 だから中学校に入学した時に、その反動で僕は生き生きと毎日を謳歌した。自分からはけして仕掛けないが、理不尽な事をされたり、そうした光景を見掛けたら黙ってはいなかった。しかも遣られたら遣り返すから皆から恐れられた。その一方で勉学は遣ればやっただけの成果が必ず現れた。だから勉強が一気に好きになった。

 まあその話は脇に置いて、僕が当時から日課としていたのは読書であった。

 小学四年生の時に最初に読んだのが太宰の『人間失格』だった。僕の心にこれほどの衝撃を与えた小説はそれまでなかった。と言っても初めて読んだ児童文学以外の小説が『人間失格』なのだからそれは当然だろう。

 大概の人がいきなりこれを読めば、大人でさえも読書どころか人間までやめたくなってしまうのだろうが僕は違った。面白いと思ったのだ。この小説がではない。小説というものが心に与える影響の魅力に目覚めてしまったのだ。以来勉強そっちのけで毎日小説を読み、中学二年生の時には既に週に五冊以上本を読むまでになっていた。

 そこでいきなり標題の『ゲシュタルト崩壊』の登場である。

 僕は試験勉強は一夜漬けが基本で、前日の深夜まで翌日の試験科目を復習するという遣り方で通してきた。

 実際のところ、僕はノートというものを取ったことがなかった。つまり授業を受けてもノートなど一度も取ったことがないのだ。予習も復習もしない。そのかわり授業に集中した。先生の言ったことは一字一句逃すまいと聞き耳を立てていた。ただ教科書に要点だけはシャープペンシルで手書きしていた。その手書き部分を再度読み直すだけで、僕の一夜漬けは完了するのであった。なぜなら、その書き込みから授業を受けた時の情況や光景が次々と脳裏に浮かび、連想的にすべての記憶を蘇らせることが可能だったからだ。しかし教科書への書き込みは何も要点だけではなかった。先生の言った冗談まで書き込まれていた。

 二日目の試験が終わり、翌日は社会科の試験があって、僕はその社会科が全科目中一番好きな科目であった。満点はそれまで幾度も取っていて、逆に満点でないとクラスメートに驚かれる始末で、それ故にその日も満点を取るべく教科書の読み直しをしていた。

 ところがその日突如として文字が読めなくなってしまったのだ。それこそ幾ら読んでも意味が理解できなくなってしまったのだ。連想式記憶術も反復練習もまったく意味を成さなかった。文字を見てもその意味がまったく理解できなくなってしまったことに僕は大いに焦った。それは突然というか唐突なことであり我ながらパニックになった。自分はバカになってしまったのか?

 そう思うと恐怖すら感じられて極度の不安に苛まれた。しかし幾ら時間を費やしてもたった一頁も教科書を読み通すことができなかった。そこで開き直って翌日の社会科と数学と保健体育の勉強を放り出して、小説を読むのを優先させようとしたが、更にひどい状態になってようやくすべてを諦めて寝た。

 翌日の試験は得意の一夜漬けがまったく出来なかった割には成績は良かった。ただ社会科の試験では満点は取れず98点に終わった。授業だけは真面目に受けていたのが幸いしたのだろう。

 当時から現国の成績も抜群だったが、それは言葉の意味をよく知っていたからだ。漢字も教科書に出て来るもので読めないものはひとつもなかった。読めれば当然意味も知っている。なぜなら小説を読んでいる最中でも、初出の漢字が分からないままその先に進むことを潔しとせず、国語辞典で必ずその漢字や慣用句の意味と用法まで習得していたからだ。中学二年の夏の時点で、読んだ本は千冊に迫っていた。貧乏だったから単行本などとても買えなかったからすべて文庫本だったが、あらゆるジャンルの本を貪り読んだ。

 しかしそれが原因で、あの日突然漢字が読めなくなったのだ。

 僕はそれを「小説の読み過ぎ病」と名付けたが、余りの集中力に視覚というか知覚が追いつかず「ゲシュタルト崩壊」を招いていたと知ったのはずっと後年のことである。

 僕は成人した頃には天才から凡才に墜ちていたが、それを後悔したことはない。

 人間平穏で平凡が一番だ。(現実は平凡どころか困難と浮き沈みの激しい人生ではあるが)


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 実は先月下旬は僕の誕生日だった。還暦になった時は何も変わらなかったが、その五年後にシルバー特典が色々と与えられる年齢にようやくなった訳だ。

 妻は〇つ年上なのでこれでやっと妻と同等の恩恵を受けることになる(*゚∀゚*)

 しかも自分の可能性をまだ諦めていない往生際の悪い老人の仲間入りだ。

 むしろそれは喜ばしいことで、老齢と老化を嘆いたことはない。

 できないことを幾ら遣っても意味はない。

 しかしそれでもこれからは自分が今まで遣ってみなかったことに挑戦してみよう。

 人生はまだまだ終わらないと思っている。

 不遇だった己の人生にリベンジだ!!!


コメント(27) 
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コメント 27

kuwachan

こんにちは。初めまして。
私のブログのお越しくださりありがとうございました。
『ゲシュタルト崩壊』、知らなかったです(^^ゞ
私は今までそういう状態になったことがないように思います。
いや、そうなっていたかもしれませんが、こういうこともあるとやり過ごしていたのかもしれないです。
IQって私一体いくつだったのか、母に何回か尋ねた記憶があるのですが
結局教えてもらえず母は亡くなりました。
by kuwachan (2021-12-16 13:06) 

Baldhead1010

すごい読書量ですね。
静謐な一日 さんに比べると、お恥ずかしい限りです。
還暦を過ぎ、古希を過ぎ、脳のしわがどんどん亡くなって行くのを感じ、自分でも悲しくなってしまいます。
なんとか、和少ない趣味だけでも続けないと、ただのボケ老人になってしまいそうです。
by Baldhead1010 (2021-12-16 13:21) 

ma2ma2

お越し頂き有り難う御座います。
本は最近電子でしか読まなくなりました。
IQって僕は130ぐらいでした。
by ma2ma2 (2021-12-16 15:03) 

Boss365

こんにちは。
「ゲシュタルト崩壊」の言葉を知りませんでしたが、一時期似た症状ありです?
ある建物を見ると、個々の形状が拡散され、目眩・気分が悪く事がありました。
ところで、先月下旬の誕生日おめでとうございます。素敵な誕生日ケーキです。
「人生はまだまだ終わらないと思っている。」心機一転?踏ん張って下さい!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2021-12-16 16:54) 

ライス

こんにちは。
当方ブログにコメントいただきありがとうございました。
ゲシュタルト崩壊、久しぶりに思い出した言葉です(汗)
自分のIQはわからないのですが、特異な能力があると、
日本の小学校・中学校では「出る杭は打たれる」が強い気がします。
by ライス (2021-12-16 16:59) 

八犬伝

ゲシュタルト崩壊ですか、知りませんでした。
私は、メニエール病になったことはありましたが。

そうですね
教育者って、大切ですよね
特に、教育者を選べない子供たちにとっては
天国から地獄へ真っ逆さですものね。
by 八犬伝 (2021-12-16 21:25) 

枝動

こんばんは。
ゲシュタルト崩壊、知りませんでした。そういう風になった事も無いです。
小学祭の頃から、大変な経験をされて来たんですね。
私は、幼少より高校まで喧嘩三昧でした。中2で不良と呼ばれ、教師から疎まれました。
中1の時副担任から、皆んなの前で文武両道を絶賛され、中2からは無視です。それからかな、教師を信じないようになったのは。
それでもたった一人だけですけど、いまだに年賀状のやり取りする恩師は居ます。
教師の嘘や保身が、その子の心の育成に大きく関わるのだと思います。
by 枝動 (2021-12-16 22:45) 

風神

私もゲシュタルト崩壊は知りませんでした。
うちの辺りは当時どの学校も、IQを調べてなかったと思います。
自分のIQは知りませんし、IQという言葉自体知りませんでした。
私も小学校まで凄いんですよ(笑)総合賞というトップの成績で卒業しました。授業さえ聞いていれば理解できたし、テストは点を取れました。
ですが、ギターに夢中になった中学からは真っ逆さまに落ちました(汗)
by 風神 (2021-12-16 23:09) 

たいへー

トイレにも、壁にも、天井にも、宇宙人の顔が浮かんでますが・・・
by たいへー (2021-12-17 05:58) 

Enrique

ゲシュタルト崩壊は少々ありますね。娘はよくあるようで,その言葉を知りました。複雑な文様とかはあまり凝視しない様にしています。音楽でもあります。バッハなどはそれを狙っている様なふしもあります。
IQと学校の成績は必ずしも一致しない様ですね。当方は自分の数字知りませんが,幼稚園の頃はバカな子供だと思われる一方で「漢字は書くな」とか,しりとりで漢語を言うので無視され,1年しか行かなかった幼稚園は登園拒否になりました。小学校ではリーダーシップゼロなのにしょっちゅう委員長にされて困りました。
当方は自分の好きなことだけやって,学習というものをあまりしなかったのでむしろ老齢になってからすこし学習しています。何をいまさらといわれそうですが。
by Enrique (2021-12-21 05:40) 

Enrique

「何ごとにもこだわらない人生」良い言葉ですね。

いつ頃からか,「こだわりを持つ」,「こだわる」というのが大変良いことの様に言われるのに少々違和感を持ち,「昔は『そんなものにこだわっているからいかんのだ!』とかいって叱られたものだ。」という記事を書いたら,

「今の若者はこだわりを持たないからイカン」とかいうコメントをもらい,ずっこけてしまいました。

by Enrique (2021-12-23 05:50) 

風神

こんにちは。
今年、お世話になりましてありがとうございました。
明年もよろしくお願い致します。良いお年をお迎えください。
by 風神 (2021-12-30 14:42) 

枝動

こんにちは。
行く年を恙無くお過ごしの事と思います。
迎える年が平穏で佳き年でありますように、お祈り申し上げます。
by 枝動 (2021-12-31 16:02) 

風神

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
by 風神 (2022-01-01 21:46) 

枝動

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
by 枝動 (2022-01-01 21:48) 

静謐な一日

kuwachanさん あけましておめでとうございます。
実はIQもっと高かったらしいです。
by 静謐な一日 (2022-01-02 07:58) 

静謐な一日

Baldhead1010さん あけましておめでとうございます。
未だに本は読んでいますが、根気が続かなくなりました。
by 静謐な一日 (2022-01-02 07:58) 

静謐な一日

ma2ma2さん あけましておめでとうございます。
私は紙の本じゃないと駄目派です♡
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:00) 

静謐な一日

Boss365さん あけましておめでとうございます。
頑張りたいのですが、性格的に停滞期と活動期を繰り返すタイプです。
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:03) 

静謐な一日

ライスさん あけましておめでとうございます。
確かに出る杭は打たれますが、杭も相手の背丈以上高くなれば打たれなくなります( ̄∇ ̄)
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:06) 

静謐な一日

八犬伝さん あけましておめでとうございます。
教育者は今も昔も玉石混淆で変わらないですね。
運悪く当たったら最悪です。
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:07) 

静謐な一日

枝動さん あけましておめでとうございます。
僕は喧嘩三昧の日々とは真逆でしたが、怒ると恐いというイメージを植え付けると、途端に周りの対応が変わるという経験は何度もしております。
弱い者には滅法強く、強い者には媚びへつらう。
所詮大方の人間なんてそんなものです。

面末年始のご挨拶を頂きありがとうございました。
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:18) 

静謐な一日

風神さん あけましておめでとうございます。
劣等生扱いを受けた僕とは真逆で、優秀な小学生時代だったのですね。
まあ、人は世の中に出てからが勝負ですが、幼少期の影響は一生緒を引くから無事過ごすに越したことはないと思います。

年末年始のご挨拶を頂きありがとうございました。
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:22) 

静謐な一日

たいへーさん あけましておめでとうございます。
ご先祖様は宇宙人だったのかも知れませよ!
by 静謐な一日 (2022-01-02 08:24) 

静謐な一日

Enriqueさん あけましておめでとうございます。
IQなんて世の中に出たら何の役にも立ちません。
というより一生同じIQなんてこともないですしね。

拘りを持たないということは「無欲」に通じるキーワードだと思います。

by 静謐な一日 (2022-01-02 08:30) 

青い鳥

記事を拝見したのは昨年ですのに、コメントがこんなにも遅くなったこと、お詫びいたします。
ゲシュタルト崩壊、私は経験したことがありません。最もこの現象が起こるほど熱心に一つのものを根を詰めて見続けたことがないからなのだと思います。
小五で急遽担任になった方(定年まであと三年とか言っていた)が、先入観に基づいた偏見の持ち主であったことは災難でございましたね。
大学生になればある程度は指導者を選べますが、高校生までは指導者を選ぶことはまずできません。いい教師に当たるかどうかは運しだいと申せましょう。
教壇に立つ者は指導力の優劣は仕方がないにしても、最低限教え子を偏見の目で見ることだけは避けなくてはいけないであろうと考えます。
私も小学3年の時に担任の思い込みによってひどい目に遭ったことがあります。
2月の寒い時期に風邪をひいていて体育の授業を受けるのは無理だから見学するようにと親に言われその旨申し出たのですが、体育館での見学ではなく教室で自習するようにと言われてそうしていました。
私の他にも3名が見学で教室にいたのですが、彼女たちは自習をせず、何と教室でゴム飛びに興じていたのです。
それを隣の教室の担任に気づかれ注意されたのですが、彼女たちは「私にそそのかされてゴム飛びをした」と担任に言ったのですとか。
放課後私だけが残されて「反省して正直に白状するまで家に帰さない」と言われ責められました。
私はそんな事実はないので「していない」と主張したのですが、担任曰く「あなたは賢いからずるく立ち回っているに違いない。とにかく白状するまで家には帰さない」と脅しをかけてきました。でも、私も1歩も引かないので夜になってしまったのです。
心配した母が学校まで迎えに来て私が残されていることとその理由を聞き、私に事実かどうか確認しました。
私は「無実だから嘘を言って白状するわけにはいかない」と母に言いました。
母は「嘘をつくような子には育てていない」と言って保護者として私を引き取ると宣言して私を連れ帰りました。
私はこの時「あんな教師には絶対にならない」と強く心に誓ったのです。
静謐な一日 さんの体験を拝見して昔を思い出し長々と書きました。
なお、知能指数に関してですが、これも測定した時期によって少しは変動しますから絶対視したり、それに囚われたりすることはないと思っています。必ずしも学力と比例するとも言い切れない面もありますから。「努力は天才をしのぐ」ともいわれていますね。
by 青い鳥 (2022-01-16 20:08) 

bgatapapa

拝見しました
by bgatapapa (2023-01-21 16:32) 

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