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『屍者の傍らで眠る』其の参_副題:ハロー効果 [来し方]

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 前回記事から表示している上記オリジナルヘッダー写真の元になった画像がこれです。場所は千葉市美浜区の「稲毛ヨットハーバー」の防波堤の前で、その防波堤の切れ目《ヨットの出入り口》から西の東京湾に向かって夕陽を撮影しました。

 

 この日の夕焼けは殊更に照り輝いて、

 海面に反射された陽光は人々の顔や手足だけでなく、

 それこそ全身を煌めかせながら実に鮮やかに茜色に染め上げて、

 その光の揺らめきは心が浮き立つようでとても眩しくて、

 それこそ幻想的で滅多に見られないほど美しい光景でした。

 令和4年の12月初旬の黄昏時に、

 まるで知らない誰かに導かれるように、

 ここに来られたのは幸運だったと思っています。

 

 そして唐突に思えるでしょうが、何故か今回のお題は『ハロー効果』です。

 でもね、これは唐突でも偶然でもなく、必然であり当然の帰結なのです。

 ここで繰り広げられる全ての文章も、掲載される写真の数々も全て意味あってのこと。

 

 ところで、『ハロー効果』という言葉を見たことも聴いたこともない?・・・でしょうね。

 実はこの『ハロー効果』という言の葉、世の中の真実を読み解くキーワードなのです。

 ですからそのことについて、これから僕の知りうる限りのお話しをすることと致しましょう。

 ちなみにこの”ハロー”とは、英語圏で交わされる午後の挨拶 "Hello" ではありません。

 主にヨーロッパのキリスト教における宗教画を見ると、仏教における如来や観音様の背後を覆う光背のように、古来の神々とイエス様や聖人の頭上にも同じように放射状に光輪が描かれているのが分かります。これが『ハロー(halo)』、英語読みではカタカナで『ヘイロー』、日本では『後光』とか『光背』と呼ばれるものです。

 キリスト教においては神々しい対象の背後には必ず光輪(halo)があることから、(これを語源として、)崇拝あるいは信じる対象の特徴的な性質に引き摺られて、それとは関連のない対象の発言や評価についてもすべてが正しいと信じ込んでしまうことを指して、それを『ハロー効果』と呼ぶようになったとのこと。

 元々あったものから「影響」を受けて内容が「変容」する。

 だから『ハロー効果』は英語では ” halo effect ” です。

 Wikipediaの『ハロー効果』では、冒頭でこの事についての簡潔な説明が為されていました。

ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる(認知バイアス現象のこと。例えば、ある分野の専門家が専門外のことについても権威があると感じてしまうことや、外見のいい人が信頼できると感じてしまうことが挙げられる。

 ・・・という事なのだそうです。

 まあ、僕流の少しひねた解釈で言ってしまえば、

「よく考えることもなく、対象者の放つ特徴に引き摺られ、以降もその固定観念から脱却できず、無思慮かつ盲目的に強く心(精神)を囚われて、その対象者が持つと信じている権威や象徴的事象に限らず、すべての言動までをも信じて疑わなくなってしまう『困ったちゃん』的現象。あるいはそのような心理状態」

 と、いうことになる訳です。

 え、ひねすぎて分からない。でしょうね。でも読み進めていけば、徐々に分かるはずです。

 ところでこれを悪用したのが、今話題の某〇一教会における「マインドコントロール」とか、おバカな陰謀論者がその根拠としている「印象操作」なのかも。・・・知らんけど!

 それにWikipediaのこの項目ではこんな記載もありました。

あばたもえくぼ」、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざは、この効果を表している

 ・・・とのことだそうです。

 それからすると、僕の見るところ「色の白いは七難隠す」も、事実をよく確認もせずその者の一番の特徴というか目立つところに引き摺られて、その者の難点というか本質的な問題を敢えて見ようとしないという意味では、実はまったく同じことなのだろうという気が致します。

 少し違いますけど、いますよね。結〇してから、こんな筈じゃなかった! とか後悔する人。

 

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『屍者の傍らで眠る』〜其の弐 [いま]


2023/01/19 17:00既製のレイアウトはちっとも面白くないので、オリジナルヘッダーに替えました。


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2023/01/22 10:20上記の写真を入れ替えました。前の写真とは波形や海の照り返しが異なります。


夕日を見るのが好きだ。

でも両手をメガホンよろしく口に当て、

沈みゆく太陽に向かって「バカヤロー」なんて叫んだりはしない。

半世紀も前の学園モノ青春ドラマじゃないんだから。

でもね、一人黙然と沈みゆく夕陽を見詰めるのは好きなんだ。

太陽がまるで地球に吸い込まれるようにすうっと水平線に沈み、灰色掛かった反薄明光線が、

富士山の稜線の形通りに、東に放射状に薄墨色に流れる滅多に見られない幻想的で美しい光景。

その美しい光景が薄れぼやけ、富士のお山の秀麗なシルエットが茜色から濃灰色に色を変える頃、

空が茜色から徐々に青みを増し、縹(はなだ)色から群青へと次第にその色を変えていく。

それがやがて瑠璃色になり、瑠璃紺に変わり、そしてついに濃藍(こいあい)に至り夜を迎える。

そうして日没からわずか四半刻のちには空のあちらこちらに星が瞬き、

夜の時空にこの世界が完全に支配されるまで刻一刻と時をきざんでいく。

その三十数分間のドラマが、僕にとって、否、人間にとっても、

とてもとても大切な時間にも思えるんだ・・・。

 

夕暮れは人を夢想家にも芸術家にも、詩人にも哲学者にも変える力を持っている。

 

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『屍者の傍らで眠る』〜其の壱 [ゆくすえ]

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人生の黄昏という言葉がある。でも僕は死ぬ間際まで明るく輝いた人生を歩みたいと思うんだ。

 

挫折多きこの半生。

人生の悲哀は何度も味わった。

生きていく以上そんなことは誰だって一度や二度は経験しているもの。

しかし老いてからの挫折とそれに伴う心の痛手はさすがに堪えるもの。

還暦を過ぎてからの挫折は二度ほど味わった。

一度目はなんとか乗り越えたが二度目は殊の外堪えた。

そこから再び立ち上がるのは挫折には馴れているはずの僕でも容易ではなかった。

でもどうにか立ち上がって今僕はここにいる。

明日になれば東の空から太陽がまた昇るように、

僕もまた何食わぬ顔で明日を迎え、

天から与えられた日々を精一杯生きるだろう。

生きている限り哀しみや苦しみを乗り越えてそうやって日々を生き切るであろう。

天から召されるその日まで。


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