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『屍者の傍らで眠る』〜其の玖 [人ならざるもの]

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〜TWILIGHT ZONE.〜富士の頂上が低く棚引く雲上にチョコッと見えているのが分かるかな!

 

 

 

幼い頃より青年期に入るまで死は身近にあった。

これはあくまでも僕の感覚だが、恐らくは幼少期に人の死に接した機会は、他人よりも特段多かったように思う。それも事故死や病死といった、自然死とは明らかに異なる死の様態に接する機会が殊の外多かった。(『天災』といった大規模自然災害を除きます)

無論正確に他の人達と比較した訳ではないし、又しようとも思わないが、小学校卒業までに接した身近な人の死は、両手の数には少し届かなかったといえば、その尋常ではない有りようが分かろうというものだ。糅てて加えて、三回も死の間際、瞬間、あるいはその直後に臨場したことさえあったのだ。そうした死に纏わる出来事の数々が、幼い心に強烈に刻み込まれない筈はなかった。

それはそうだろう。知っている人の自然死以外の死を、幾度もその瞬間あるいは直後にその場に居合わせたとしたら、自分は死と密接に結びついているのではないかと恐れ戦いても、ちっともおかしくはないだろう。だがそれでも尚、僕は死を恐れたりはしなかった。

朝起きて、食事をして、学んだり働いたりして、そして夜になったら寝る。そういった日々の積み重ねの延長線上に、ごく当たり前のこととして死はあると捉えたのだ。

それは達観とか諦観とかいうものではなくて、この心境をどう呼べば良いのかも分からないのだが、何の抵抗もなく素直に目の前の事象を捉えられる持ち前の気性ゆえか、雑念や思惑など一切入る余地もなく実にすんなりと死というものを受け入れられたのだった。だからこれまで一度も自分が死ぬ事を恐れたことはない。夢見にさえそう思ったことはないのだ。

だから死というものを、何か特別なものだとは思わなかったのだった。

自分が死ぬことの意味すらそうなのだ。況してや他人の死を特別視することなどあり得ない。例えばの話だが、それが事故死でそれこそ血まみれの他人の屍を直接見たとしても、さらに言うならば如何にそれが衝撃的事実であったとしても、殊更に死を恐れ、死に戦くことはない。

こころで僕は今、譬え話として血にまみれた屍の話をしたが、実際にはこれは譬えではなく実話だ。つまりそれを経験した上での話なので、現実にはフィクションではなくノンフィクションなお話だ。そんなショッキングな経験を幼い時にしているにも関わらず、僕がそれで死というものを殊更に恐れたり、拒絶反応を示したことは一度とてなかった。ああこんなにあっけなく人は死ぬんだな、人体とはこうも脆いものなのかと思っただけであった。

それはそうだろう、僕にとって『死に方(死の様態)』よりも『死んだ後、人はどうなるのか』の方が遙かに高い関心事であったのだから。

そうして、『人は遅かれ早かれ何れ死ぬ』という事実を、僕は七歳のあの時点で知ったのだ。

だが、そのこと自体は僕に言わせれば大したことではない。ただ『それ』を実際に目で見て、死のもたらす意味を正確に理解しただけである。これは自明の理であり自然の摂理である。むしろそうした不可避のものを恐れることの方が、僕にとっては不合理であり理解しがたい事であった。

しかし、死を理解したとは言っても、僕が考える死のもたらす意味は、他の人達の考えるものとは大いに違っていた。

僕がそこで理解したのは、『死』は『無』ではないという真実だ。

だから死を恐れなかったのだ。死そのものより、死後人間はどうなるのかを考えることの方が、僕にとってはとても大事なことに思えたのだ。未知なるものへの強い関心は、この時に芽生えたと言っても良いだろう。

そのような考えに至ったのは、これから話す『屍者の霊魂』を見た事と、深く深く関わっている。

僕の懊悩はその時から始まった。

だが、今になって思えば『死んだら人はどうなるのだろう』と考える機会が、人よりも早く訪れたことに感謝すべきであったのかも知れない。

なぜなら『死』を考えるということは、同時に自分の『生』を掘り下げて考えることなのだから。

こうした考えに至ったのは、自然死以外の尋常ならざる死と接したこととけして無関係ではない。むしろその時の体験が、僕に多大な精神的影響をもたらしたことは確かだ。度重なる自然死以外の死(且つ身近な者の死)は、僕の恐らくは霊性を呼び覚ました。

霊魂に因って齎(もたら)されたであろう目の前の不可思議な現象を、何か特別なものあるいは怪異な出来事としてではなくて、(畏怖すべき存在ではあるが、)それでも尚ごく当たり前の、つまり自然なこととして、それを受けいれられたのだ。

つまり人は死して尚、その精神や想いは霊魂あるいは魂魄・精霊として、この世に留まることがあると知ったのだ。当然ながらそれらが僕に与えた影響は大きい。生死観は元より人生観や生き方そのものにもそれは多大な影響をもたらしたのだから。

 

そうは言っても、十代半ばから五十代半ばを過ぎるまでそれを意識することなく過ごして来られたのは、社会に出て、人並みに結婚をして、仕事や日々の出来事に忙殺されて、己を顧みる暇がなかった所為であろうか。

否、自分が曲がりなりにも心身共に健康体であったが故であろう。それが崩れたのが、五十代前半に立て続けにいくつかの疾病や怪我に遭い、入退院を毎年のように繰り返した数年間であった。そこで僕の人生観はすっかり変わってしまった。

例えば、入退院で度々仕事に穴を開けたことで、それまで築き上げた信用は一気に瓦解した。往年の評価であった着実な仕事ぶりも、非常時に発揮される人並み外れた忍耐力と問題突破力とその処理能力も、いつ穴を開けられるか分からないとなれば、使う側としては任せられないとなるのは必定であったろう。

一事が万事、そうして人望さえも失い影の薄い存在になり果てた。まあ冷静にものを見られる僕としては、そうした事態にさえ驚きも戸惑いもなかった。「然もありなん」と思っただけだ。何しろ死さえ恐れてはいない僕なのだから。

思えば、これまでただ単に我武者羅で活動的であったものが、本来の性である思索的でより深く考える性質に戻っただけである。つまり大病を機に人生観が激変したという訳ではなくて、ただ単に病気を契機として元の鞘に収まっただけの話なのだが。

そうは言っても、行動は相も変わらず即断即決即行動で表目は何一つ変わらなかった。だが行動を起こしてから間髪入れず、『果たしてその言動が良かったのかどうか』を顧みる事が多くなったのは事実だろう。

だがその一方で、悔いることは余りなかったのも事実で、直観で動くことが相も変わらず己の行動の最適解であることを改めて認識した。拙速は時に必要だという認識に変わりはないが、その行動を顧みるもう一人の自分の存在があってもいい。そう思いそれを実践した。僕はそうして、軌道修正を無意識に行っているのだった。

つまり、なぜそうしたのか、その理由は後から付いてくるという訳だ。ただし、心の内を中庸に保ち、邪心や欲望を捨て去ることでそれは為されるもの。それを教えてくれたのもまた、僕を守ってくれているであろう守護霊達の存在あってのことだと思う。

だとしたら己(我欲あるいは自身そのもの)を捨て去ることが肝要であろうという結論に至った。そうでなければ判断を過つことになりかねない。また、もしそれが自分の意思で出来ない状態になるようであれば、僕という人間をそこで終わらせることも、選択肢の一つとして考慮の内に入れておかねばならないであろうとも思う。

僕は窮地に陥ってもジタバタはしない。『捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』という諺もある。『人事を尽くして天命を待つ』これが、正解であろうと思う。しかし「人事」の内容こそが大事なのであり、それに掛けた時間と労力と結果は一致しない。極端な話、無駄な努力をするくらいなら、却って何もしない方が結果が良いことさえある。

これは余談だが、恐らくは認知症にでもならない限り、僕は自分の死期を悟ったら従容としてそれを受け入れるだろう。自然の成り行きに抗うことはしないのだ。
だが裏を返せば、もし認知症の兆候が見られたら、僕はその時ある決断をしなければならないと思っている。つまり己の意思で己を制御できない状態になれば、それを従容として受け入れることはできない。

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僕の最近の食事は『Onedish』+『 α 』が基本。この日の昼食はいつもながらの自炊飯。外食は殆どしない。今日は午前中にじっくり煮込んだクリームシチューを作りました。お皿に盛って仕上げに生クリームとミルで砕いた胡椒をかけました。後はこれまた5種類の野菜が入った自家製サラダが付くだけのシンプル飯。
でも栄養とカロリーのバランスは考えていますよ。お陰で9ヶ月で18kg痩せました。ここ9ヶ月の間、妻の料理は殆ど頂いておりません。というよりも自分の体調に合った食事をすることに決めたので、作っても食べないのでは申し訳ないと思い、自分の食事は自分で作るだけでなく、僕に関する炊事洗濯等、『家事のさしすせそ』はすべて自分ですると伝えた結果です。
それだけでなく食事の用意以外は皿洗いだって洗濯だって妻の分までします。しかも手抜きは絶対にしない。だが然し、あまり頼られるのは好きではない。というより、それが当然のことのように思われるのは癪なので、毎回そうする訳ではありません。(僕は人の親切を当然のように受け取ったり、何かにつけ依頼心の強い人は嫌いです。ついでに言わせて頂けるなら、『独立独歩』が人としての基本だと思っています)
おかげで結構『主夫業』で忙しく暇を持て余すことはない。というより、一日が二十四時間では足りない日もあるくらいです( ̄∇ ̄)

 

<閑話休題>

前置きが長く、主題になかなか辿り着かないのは歳の所為。還暦を過ぎてからというもの、どういう訳か連鎖的に考えがあちらこちらに飛ぶ悪い癖が、ここでも出た形で大変申し訳なく思う。しかし無駄な話をしている訳ではない。

それは<其の壱>から前号の<其の㭭>も同様で、全てがすべて霊魂が僕にどう憑依し、どう作用した(影響を与えた)かを理解して貰うための前振りに過ぎない。

・・・という次第で、気を取り直して先に進むとしよう。

 

霊魂の存在を目の当たりにし、それを当然の事として受け入れて以来、他人と自分との違いが僕を大いに苦しめることになる。毎日多くの人と接していながらも、常に疎外感と孤独感に苛まれることになったのだ。今になって思えば、それは周りが僕を受け入れないということではなくて、自身が周りを拒絶していたというのが実態であったのだろう。

つまり他の人達とは違っていることを自身が認識して、他者と自身との間に精神的垣根を設けてしまったのだと思う。その意識が周りの人達に伝播して、尚更のこと、他者との隔たりが大きくなってしまったものと思われる。

そうして青年になって以降、普段の僕がそれを意識することはなかったが、むしろ無意識下だからこそ僕のこれまでの来し方にも、それは当然色濃く影響を与えていた。

 

幼年から多感な青年期までの四半世紀の間に、強烈に記憶に刻み込まれる死と遭遇していた。事故死、病死、自然死。死の様態は様々であった。そしてその全てで霊魂を確認した訳ではない。だが、死に際して霊魂が現れる事例に共通していることが、ふたつだけあるのを僕は経験から学んでいた。

一つ目は、僕が亡くなった対象(人とは限らない)から殊の外愛されていたことだ。ただ僕がそのことを、当初から明確に認識していたかというと、必ずしもそうではない。現に、はじめて『その死』を認識した祖父の場合は、数年間離れて暮らしていたがためと、あまりにも僕が幼かったが故に、生前祖父が僕を殊の外かわいがっていたことすら覚えてはいなかった。

二つ目の共通点は、僕に強烈な印象を与えた。なぜなら、それがこの世に有り得べからざる現象として僕の前に立ち現れたからだ。もし僕以外の誰かがそれを目視できたとしたら、それは間違いなく超常現象だと認識したであろうし、神秘体験に接して慄然としたであろうし、明らかに怪奇現象そのものであると捉えたはずだ。

だが如何せん、それは僕以外の誰一人、見ることは能わなかった。

 

はじめてそれを見た時、僕がどう思ったのかをまずは話しておこう。

それを見たのは小学校三年の晩秋だったと記憶しているが、実のところハッキリとは覚えていない。あれから五十有余年経っていて、僕の時間の記憶も感覚も随分と曖昧になってしまったからだ。

だがそれが尋常ではないもの、この世に有り得べからざる物であることと、それが後々の僕の人格あるいは人間形成に多大に影響を及ぼしたことは、無意識ではあったが明確に認識している。

それ以降も幾度かそうした経験を重ねて、直近では還暦間際にもそれを体験して、改めて鮮明に脳裏に焼き付いている。

それで、僕にとって霊魂とは何か、ということも再認識した次第である。

 

さあ、いよいよ皆さまお待ちかねの、霊魂の目撃体験のお話である。


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〜Fuji was not visible on that day.

 

それは明らかな心霊現象であった。

 

父方の祖父の葬儀で家族全員で里帰りしていた。当時の僕は確か小学校三年だったと思う。

通夜の夜だった。夜中に小用を催し、母に御不浄(トイレ)に行きたいと言った。

母は何かと気疲れしていたのであろう、姉に御不浄の前まで連れて行って貰えという。姉は不承不承という感じで御不浄の前までは連れて行ってくれた。だが先に部屋に戻るから用を足した後は一人で戻って来いという。姉は御不浄のすぐ脇にある、祖父の遺骸が置かれている大広間が恐くて、一刻も早く父母のいる部屋に戻りたかったのだ。

御不浄は廊下の端のあり、そこだけ裸電球が点っていて、後は真っ暗で都会の夜の明るさに慣れた子どもにとっては、余りにも不気味で恐かったのだろうと思う。

御不浄の前の廊下は、祖父の遺骸の置かれた大広間に接していて、そこは六枚の障子の引き違い戸で廊下と仕切られていたが、その真ん中の二枚の障子だけは開かれたままだった。大広間の照明は豆電球だけが灯っていて、その他は勧修灯も蝋燭の火も消され、線香さえも消されていた。たぶん火事を恐れてのことだと思うが、その光景は確かに子ども心には不気味で畏怖を感じるには十分だった様に思う。

ただ僕はそういうことには無頓着で、姉のように恐れを感じはしなかった。だから姉を先に帰しただが僕はその帰りに異様な光景に出会い、金縛りに遭ったようにその場を動けなかった。

僕が目の当たりにしたのは、怪異であった。

 

初めてそれを見た時の衝撃は、たぶん見た僕以外の誰一人理解はできなかったろう。幼かった僕は、後で父母や姉にそのことを実際に話したのだが、肉親である父母も姉もそれをまともに捉えてはくれなかった。

「何を寝ぼけたことを言っているの?」、という程度の反応しかしてはくれなかったのだ。

しかし実際にそれを見た僕は当然納得がいかない。だから父母や姉だけでなくおじさんやおばさんにもその話をした。だがそれで分かったのは、僕の話は子どもならではの妄想や絵空事だと思われてしまったことだった。誰一人僕の話に耳を傾けようとはしなかった。

帰りが余りにも遅いので探しに来て、僕が心霊現象を目の当たりにして呆然と突っ立っているのを見咎めて、体を揺り動かしてこの世に引き戻してくれた父でさえ、この世のものとは思えないその『現象』を見てはいないのだから当然だろう。

そうして僕に分かったのは、その物体が僕以外の誰にも見えないことと、話しても誰一人そのことを理解してくれないどころか、僕を何か得体の知れないものと捉えたり、あるいは胡散臭いものを見るかのように忌避されたことだった。

僕はそうした人々の反応を見てとても悔しかったと同時に悲しくなった。

無理解とは、拒絶あるいは、自分の存在を否定されることだと知ったからだ。

以来僕はちょっと変わった子、狐憑き紛いの神経質な子という風評が親戚筋では立ったようだ。

それまでの僕がごく普通の明るい感じの子どもであったからこそ、それ以降僕の顔つきが急に大人びた様相に一変して、余計に悪目立ちしたのかも知れない。


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View of Mt Fuji from Funabashi Port.


では僕がそこでいったい何を見たのかをお話しよう。

それは用を足して父母と姉の寝る部屋に戻ろうとした時の話だ。

その当時の郷里の父方の実家は、御多分に漏れずに部屋の構成は田の型配置で、南に面した外壁はガラス障子の建具となっていて、天井は網代で、床は板敷きで構成された縁側廊下となっていた。その縁側廊下に面した田の型配置の各部屋は、障子あるいは障子小窓の付いた板戸で仕切られていた。

その日は雨戸は閉めておらず、星もきれいで月明かりは僅かにあったように記憶している。

御不浄から出て手水で手を洗い、さあ部屋に戻ろうと振り向いたその瞬間に、僕はギョッとした。なぜならその縁側廊下に、行きとは異なった、明らかな変化が見られたからだ。

行きに御不浄に来た時には、大広間には豆電球しか点っておらずだいぶ暗かった筈だ。だが用を足し御不浄の扉を閉めて、手水のあとに振り返って見た廊下には、行きには見えなかったはずの仄暗い光が大広間から差し込んでいた。

色は明るい翠色と言えば良いのだろうか。そんな光が開け放たれた障子戸の間から漏れていたのだった。しかもその光は揺らいでいた。確か行きに『勧修灯』は「点灯も回転もしていなかった」筈だし、もし点灯していたとしてもこんな色ではなかった筈だ。走馬灯のようにきらびやかな色が交じっていなければならないのに、それは翠一色だったのだ。

一旦は身体が固まってしまった僕だが、それでも怖ず怖ずと大広間の前の廊下に近づいていった。

そうして僕が、板敷きの縁側廊下から開け放たれた障子越しに見たのは、祖父の遺骸の横たわる布団の真上に浮かんでいた、何とも形容しがたい物体だった。

それはゆっくりと回転しながら空中を浮遊していた。

浮遊しているとはいっても、一カ所に留まらずゆっくりと、尚かつ上下しながら移動していた。

それを見た瞬間に僕の体は金縛りに遭ってまったく動かない。それこそ手指の一本たりとも動かせなかった。そればかりか、元々大きなクリッとした目ではあったが、恐らくその時の僕の眼は、更に大きく見開かれていたことだろう。

よく見るとそれは半透明で、翡翠色をした燐光を放つ物体で、二つの四角錐の底面同士を貼り付けた八面体の形であった。八面体の角は鋭角ではなく丸みを帯びてはいたが、それに触れるととても痛いだろうなとなぜか感じた。

ここから逃げ出したかった。しかし体が固まって手指一つ動かすことすら出来ない。

だがそれは明らかに僕を呼んでいた。声にならぬ声で、僕を誘(いざな)っていたのだ。

だが僕の体はまったく動かない。

するとその翡翠色の発光体と僕との間で綱引きが始まったという感覚を明確に感じた。それはその発光体と僕の身体との間で始まったのではなく、魂と魂との綱引きが始まったのだという感覚だった。

後で考えるととても奇妙なのだが、僕はそれを第三者の立場で、僕の身体と翡翠色の発光体との間に立って、それを俯瞰している感覚を覚えていた。実際にはあり得ない話なのだが、僕の体験したその時の感覚は、まさにそんな感じだった。もしかしたら僕はその時<幽体離脱>体験をしていたのかも知れないが、この事象はこの時が最初で最後の体験であったので、今以てその実体は分かっていない。

だがこの時のジッとそれを凝視するしかない体験が、僕の心の内に強烈に残らないはずはない。

以来、霊魂は翡翠色をした発光体だという僕の認識は揺るがない。

 

これは余談だが、中国や朝鮮半島や日本で墳墓に翡翠の勾玉や髪飾りを副葬するならわしは、霊魂の存在や死後の世界を極東の古代人が信じていた何よりの証拠だと僕は思っている。

 

その翡翠色をした発光体が、田舎家の十八畳の広い和室の中で、ゆっくりと上下し回転し、ゆらゆらと祖父の亡骸の周りを浮遊するその様を、あなたは果たして想像できるだろうか?

僕はそれを実際に見た。

後年になって分かったのだが、僕にとってそれは尋常ではない死を意味していた。しかもそれら死の数々は、この時以降に接した数々の死の様態とは明らかに異なっていた。というよりも青年期以降、僕はそうした様態の死に二度しか接していないし、その他の死には感応していない。

それからすれば、恐らくはその能力は普段は影を潜めているだけなのだろう。しかしいざ『その時』が来れば、恐らくは、否、必ずまた『発動』する。

 

そして最後にその様態の死に接したのはわずか七年前だ。

 

初めは恐れを以てそれらの死を受け入れた。だがそれが度重なれば死というものに対する認識を変えざるを得ない。以来僕にとって死は特別なものではなくなった。ごく自然で親しいもの、しかしそれと同時に畏怖すべき存在であり、けして敵対してはならない『相手』でもあった。

 

何しろ『守護霊』なのだ。

 

それゆえかどうかは知らぬが、幼い頃の僕が人の感情を鋭敏に感じ取ることが出来たのも、これら霊魂が知らせてくれていたが故であろう。だからこそ相手が実際に声に出さなくとも、言葉というか音声で相手の意思を感じ取ることができたのだ。

もう一度言おう。実際に誰かが声を出して語っている訳ではないが、誰かの心の内の声、つまり本音・本心が、音声として僕の耳に届き、明確な形ある言葉と文章を伴って聞こえていたのだ。

ただ大勢の中だと、それが誰の感情であるかを見極めることはできなかった。だがこの事象は超能力というのとは違うものだと認識している。なぜなら、常時それを感じることはなかったし、それは幼少期に限った鋭敏で特別な感覚だった。しかも感覚的なものだから、それを他人に明確に語ることは困難だ。

幼時や青年期(今考えると「ティーンエイジ」の間)に限ったことではあったが、これは誰でも本来は持っている根源的感覚であり潜在能力なのだと僕は思っている。しかし多くの人はそのことに気づくことなく一生を終えてしまうのではないか。それが情況によって現れたり消えたりするし、捉えどころがないのなら尚更だろう。

 

冒頭でも語ったように、そんな僕には死は忌避したり忌みするものという認識はなく、ごく自然なこと、日常だという認識がある。それ故に。親しい者(人間とは限らない)が亡くなれば、最後の時を一緒に過ごしてあげたいと思う。

具体的に言えば、僕は過去において、死んだ者のすぐ傍らで一度は立ったままで過ごし、その後は三度眠ったことがある。つまり亡骸の傍に居たり寝たりしたのは一回のみではなく四回であり、時期も七歳か八歳頃、十三歳、二十七歳、六〇歳と異なっている。そのうち、霊魂を明確に見たのは厳密には三回のみだが、感覚的には四回あったと認識している。

しかも、それらはいずれ劣らず、スピリチュアルな体験だったと言えよう。

 

知っているかい?

 

誰かが死んで暫くの間は、霊は親(ちか)しい者を死の世界へと誘(いざな)おうとするのだよ。

 

人が死んでとは言ったが、これは何も人間に限った話ではない。例えばペットなどでもあり得る。つまり生きとし生けるものと強い繋がりと関わりがあるならば、誰でも経験する可能性はあるということだ。

こうしたスピリチュアルな実体験に基づいて、僕ならば確信的にそう言える。

ただそれを体験というか体感というか、認識できる人と出来ない人がいるようだ。

要は生前どれだけ亡くなった者と深く拘わっていたかがその鍵になる。故に、死んだ者と係わりが深ければ深いほど、引き摺り込まれる恐れは大だ。

まあ屍者との生前の関係が良ければ良いほどそれを回避できる確率は高いし、そうであれば引き摺り込まれるどころか、僕のように却って『守護霊』となってくれることだってある。

ところでどうして屍者の傍らで眠る体験をわざわざする必要があったの?・・・という質問が来そうだが、僕は感じることがあり敢えて傍らで眠ることを選んだのだ。

今になって考えると、どうも僕は亡くなってしまった者と、もう一度話してみたかったらしい。

つまり僕は関わりが深かったからこそ、霊体の傍で一晩一緒に過ごすことを敢えて選んだのだ。

 

既述したが、初めてのスピリチュアルな体験は七歳の時だ。以来僕は霊魂の存在を信じている

物心ついて以降に僕の前に現れた霊魂に問い掛けたところ、どうも霊魂には大きく分けて二つに分かれるらしい。すなわち、悪しき想いを懐き人々に災いをもたらす『悪霊』と、その真逆の『善霊』だ。

僕には悪霊に会った経験がなく到底その違いが分からないのだが、感覚的にそれぞれ『怨霊』と『精霊』とに置き換えて考えている。

幸いなことに、僕の前に現れたのはすべて『善霊』、つまり『精霊』だった。どうやら生前のその者との接し方で、『悪霊』になるか『善霊』になるかが決定づけられるように思える。ちなみに『悪霊』は<あくりょう>、『善霊』は<ぜんれい>と呼ぶ。

 

ここまで書いたことを信じる信じないはあなたの自由です。

何しろ見える人には見えるけど、見えない人には一切見えないのだから。

でも、見えない人は今際の際にいても尚、死期を悟れないだろうと思われる。

なにしろ霊魂がそれを知らせてくれることはないのだから。

でも見える人には見えるのです。


前述した通り、霊魂は緑の燐光を放ってゆっくりと回転しながら、空中を浮遊している。

そして観察者(僕のこと)が感応すると、霊魂もそれに応えて必ず感応します。

観察者=霊媒が精神的に強く感応すると、浮遊する霊魂の回転も輝きも増し辺りを照らします。

聞けばまるでミラーボールのようですが、前述した如く実際にはミラーボールのような疑似球体ではなくて、四角錐を二つ合わせた八面体で、緑の燐光色を放つ半透明な物体です。それが周りの壁や天井や床を淡い光で照らしている。その光と影が、発光体の回転と移動に伴って、まるで勧修灯のように揺らいでいる。

あれを見て驚かない人間はまずいないだろう。そして大概の人は恐怖しか抱けない。

しかも金縛りに遭ったように終始指一つ動かせはしない筈だ。それこそ全身全霊を以てこの事態に抗おうとしなければ、意識までも吸い込まれそうな、あちらの世界に持って行かれそうな、そんな恐怖さえ覚える戦慄的体験である。

 

だが僕が今ここに在り、こうして当時を語れるのは、その抗しがたい情況から、自らの強固な意思で、生還を果たした故である。

 

 

 

・・・・・・・・!
 
 
 
知ってました?
 
 
 
あなたの周りにも霊魂がいることを。
 
 
 
〜TODAY'S SERVICE SHOT.〜

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〜Apparently we're saying goodbye to this ballpark.〜

 

 

次回は最終回です。

最終話の内容を少しだけ予告しておきましょう。

僕が霊魂を見たのは四回で、厳密に言うならばそれは三回だけなのですが、最終回はその中の直近に見た霊魂の話です。

直近とは言っても七年前の話です。しかし今なお記憶は鮮明で、細部までよく覚えている。

しかもその霊魂が、人ではなかったとしたら、あなたならどうしますか?

 

僕はそれを経験したのです。

 

そして、もう二度と逢うことのないその存在に、涙した。

 

 

 

 

〜2023/03/08 11:30 追記〜

今読んでいる恩田陸の小説は『ドミノ』。

112頁まで読み進めたが、どうも息つく暇もないほどのドタバタコメディーらしい雰囲気。

読んでいて一定のリズムというか、心地良いテンポを感じるのは私ばかりではないだろう。

推理・サスペンス、SF、コメディー、恋愛もの、音楽もの、その他諸々。。。

恩田作品はジャンルが幅広く、読む者をけして飽きさせない。

まことに多才な作家だと思う。

ところで、購入した迄は良いが、まだ読んでいない恩田陸作品が16冊もある。

恩田作品だけでなく原田マハとか、その他数多の作家の本を、買ったまま<積ん読>状態にして幾星霜。その数200冊以上。。。生きている内に果たして読み切れるだろうか( ̄∇ ̄)

 

〜2023/03/11 7:05 追記〜

上記、恩田陸の『ドミノ』読み終えました。この作家の多才さに脱帽です。初めはまったく別々だったお話が、テンポ良くパラレルに展開される。その一つひとつに当初何ひとつ繋がりはない。だがそれぞれの物語はまるでドミノ倒しのように、あるところで分岐し、またあるところで合流し、付いたり離れたり一瞬交差したりを繰り返し、最後は全ての登場人物が東京駅の一カ所に集まり大団円を迎える。その登場人物の多さと、全ての人物が生き生きとして描かれている点で、小説の常識(セオリー)を覆し尚かつ常軌を逸していて頭が混乱する。だがしかし、この緊迫感とテンポの良さと、それでいてコミカルなこの物語、、、読後感は、素晴らしいの一言に尽きる。

ただ、たとえSFだろうとリアリティーを求める僕としては、あり得ない事実を(他でもそうだが特に、角川文庫版<平成28年5月25日36版発行分>、233頁から始まる『65』)で一つ見つけてしまいました。それと、手痛い記述ミスを同36版273頁、8行目に発見。それが何かは興味ある方は調べて僕に答えをコメントレスポンスしてね!

 

WBC、連夜11時過ぎまでTV観戦して寝不足気味。ダルが3点取られた時は、やはり韓国は本気だなと思ったけれど、終わってみれば13対4の圧勝。このまま三連勝で、アメリカに行って、そのまま準決勝も決勝も二連勝でウイナーとなって欲しいと願うばかり。

 

今日はあの日から12年。

岸田政権の国民の生命と安全を蔑ろにした、原子力政策の180度方針転換が腹立たしい。

 

2023/03/11 10:22再追記〜引き続き、恩田陸の『麦の海に沈む果実』読み始めました。

 

2023/03/12 9:00 再々追記〜僕の恩田陸読書歴は浅く、直木賞と本屋大賞W受賞の、『蜂蜜と遠雷』から読み始めました。というより、その後『蜂蜜と遠雷』のスピン・オフ作品である『祝祭と予感』も含めて暫くは読んでいなかった。

その頃は、女子が書いた小説(僕は『女流作家』という言葉と区分け(分類)は『死語』だと思っています)といえば、「イヤミスの女王」<湊かなえ>の作品と、絵画小説が多い<原田マハ>作品か、昔からずっと読み続けている<宮部みゆき>の小説ばかり読んでいましたから。

その後しばらく間を開けて読んだのが『常野物語シリーズ、<光の帝国><蒲公英草子><エンド・ゲーム>の三部作』です。『夜のピクニック』も『六番目の小夜子』も既読です。他にも既読はまだまだあります。

しかし、それでも購入していながら未だ読んでいないものが、まだ16作品あるということです。

そんな僕ですが、今まで読んでいて一番心に残った恩田陸作品はライオンハートです。こんな言い方はおかしいかも知れませんが、《実に恩田陸らしくない小説》です。何しろ”SF小説に名を借りた純愛小説”なのですから!

好きな作品は人それぞれでしょうが、これが僕の現時点での【イチ押し】です。

 

 

 

『屍者の傍らで眠る』の最終話、昨日から書き始めたばかり。

小説風に書き上げる積もりです。

ではではご機嫌よう。

 

 2023/03/13 15:15 再々再追記 〜シリーズ最終記事の公開は3月15日午前0時を予定していましたが、<小説風に書き上げる>と宣言した時点で、相当無理があったことが記事の書き直しとその推敲をしていて判明しました。

見通しが甘かったと反省しきりです。

僕は、書き直す以上いい加減なものは公開したくないし、他から根拠の定かでない怪しげな資料を持って来て、それをさも自分の考えであるかのように偽ったり、事実に蓋をしたり糊塗する事によって読む者を欺き騙し誤魔化すような、欺瞞かつ偽善的な「押っつけ仕事」は元々しない主義です。

よって、公開予定を改めて、『2023年3月18日<2023/03/17 21:00再設定>3月20日午前0時』に再度設定し直すことにしました。力が至りませんでした。期日を守れず申し訳ありません。


誠実さを基本とした、納得のいく仕事をしてこそ、皆さんの共感を得られるものと考えています。

その点改めてご了解を賜りますよう願ってやみません。

 

 

 

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