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『屍者の傍らで眠る』〜其の什 [おしまい]

対岸の灯.jpg

〜CITY LIGHT ON THE OTHER SIDE OF THE SEA.〜

 

これはノンフィクション小説である。つまり書かれている内容は架空ではないということだ 。しかし小説という読み物であるだけに、記載内容の全てをつまびらかに取り上げて、それら一つ一つに関して、実際にあった出来事と一字一句相違しないとは言い難い。また直近の出来事があってから七年余りが経過した今となっては、事実と記述内容とを完全に合致させる事は不可能に近い。否、出来ないと断言しよう。つまり書かれた文章に、小説の体裁を整えるためや、記憶の欠落を補うための多少の脚色があることは了解願いたい。だがたとえそうだとしても、書かれている内容は事実から<1ミリも>逸脱することはないし、たとえ文章の一つ一つを取り上げたとしても、この小説を通して全体を見渡したとしても、その文意も言わんとするところも一切脚色はないと断言しよう。だから著者はこれをノンフィクション小説として自信を持って公開することにした。

ただし掌編小説(所謂『ショートショート』)くらいの長さはある。ゆえに心して読まれよ!

 

 

 

"Fact is stranger than fiction." ~ Written by George Gordon Byron

 

 

 

それはまだ外は凍てつく二月のことだった。

 

前年までの二年近く、僕は遠く離れた地で単身赴任をしていた。

その間は妻が”我が息子”♂(イニシャルは『U・B』、略して『B』または『Bちゃん』)の面倒を見てくれていた。妻は実は動物が苦手であった。

しかし幾ら拠ん所ない事情があってそうしていたとしても、日々その面倒をみていれば愛情も愛着も湧く。だが妻は(元々動物が苦手であるだけに)それでも身体を撫でてやることは出来ても、抱っこをしたり一緒に遊んであげることは出来なかった。

僕が家を留守にしている間、妻は一日二回我が子『B』を外に連れ出したそうだ。しかし、嬉しさの余り落ち着きなく動き回る『B』にハーネスもリードも取り付けることが出来ず、いつも小さなクレートに入れて自転車の前カゴに乗せ『お散歩』なるものをしていたそうだ。だがそれでも我が子は、妻がお散歩の支度をし出すとソワソワしだし、ケージの中を行ったり来たり飛び跳ねたりと、その小さな体全体で歓びを目一杯表現していたという。

今では妻が声掛けする度に、お腹を見せてナデナデをねだるまでになっていた。それからすれば、我が子は妻も第二の飼い主としてようやく認めたようだ。そうして動物嫌いの妻も、我が子『Bちゃん』だけは特別・・・と思うようになっていた。

 

その妻と我が子の間柄が親密になった頃、僕はようやく任期を終えて我が家に帰って来た。

僕が玄関の扉を開けて帰って来た時の、我が子のあの喜びようは、まさに狂喜乱舞という有り様だった。小型犬なのに90cmはあるケージの木枠から身体が飛び出てしまうほどビョンビョンと飛び跳ねて、ワンワンと騒々しくも派手に歓迎してくれたのは、今想い出しても微笑ましく、尚かつとても嬉しい光景だった。

 

それからの一年はあっという間に過ぎ、次の年を向かえた。

単身赴任を終えてからは仕事で多忙ではあったがそれは言い訳にはならない。ある日僕は今ではすっかり我が子『B』の面倒を放棄して妻任せにしている自分に気づいた。人間の年齢に換算すれば、もう老齢といってもよい我が子の毛並みにはいつの間にか艶がなくなり、白い毛も目立つようになっていた。それが気にはなっていたが、他のことにかまけて今日の今日まで知らぬ振りをしていたのだった。

しかし幾ら僕が”育児放棄”しても、僕を慕う我が子は健気であった。僕の姿を見掛けたら一時も目を離さず、その姿を追い続けるのだ。

その日は非番で少し心にも余裕があった。久々に体を撫でてあげることにした。

ケージから掬い上げ、そうしてあぐらを掻いた脚の間に寝かせてお腹や背中を撫でてあげると、我が子はとても気持ちよさそうに目を閉じるのだった。だがそんな幸せな一時も、僕の手に触れたあるものが原因となって、途端に不安に取って代わってしまった。我が息子の背中を撫でた指先が、首根っこのところに、『ある違和感』を捉えたのだ。とても小さな痼(しこ)りだったが、どうも健康な皮下の組織とは明らかに違うように思えた。それは寒い二月の朝のことだった。

その痼りは小豆大の大きさであった。色々触って確かめた結果、腫瘍だろうと推測した。

過去にも腫瘍が出来たことはある。だがその時は二ヶ月で腫瘍は消えていた。それがあったのでしばらく様子を見ることにしたのだが、三ヶ月もしないうちに痼りは更に大きくなって、今では一晩水に浸けた大豆大の大きさにまで成長していた。しかも今度は背中の下肢の付け根辺りにも小さな痼りが出来ていた。恥ずかしながら、発見したのは五月初旬の旅行先で『B』を預けた、ペットサロンのトリマーさんだった。

もしかして転移? すぐに悪性腫瘍(皮膚ガン)を疑った。

それで旅行から帰ってすぐ、行きつけの動物病院に連れて行った。診断で言われた病名はリンパ腫だった。だが良性だろうということであった。

『えっ、良性のリンパ腫なんてあるの?』

リンパ節は全身に存在しそれらがリンパ管で繋がっている。隣接する血管ともツーカーの仲だ。そこにリンパ腫が増殖すれば容易に全身に転移してしまうのではないか。そんな素朴な疑問が脳裏を過った。だが、獣医師の言うことなので信用するしかなかった。

<しかしその診断は結局は誤りであり、その後も医師の見立てはことごとく外れた>

その際、医師から「大きく成長しているように見えるのは、リンパ腫が血液を養分として掻き集めているからだ」と、説明があった。「気になるなら血抜きをしましょうか?」、軽い調子で提案された。それで一番大きな腫瘍の一部をカットして血抜きをして貰うことにした。

・・・確かに血抜きで腫瘍そのものは小さくなった。だがカットした患部からの出血が止まらない。それは獣医師が少し慌てるほどの大量の出血だった。それほどリンパ腫という癌細胞は、我が子の血液を自分の細胞の周りに集めて、それを養分として急成長していたようだ。

医師が急いで患部を数針縫ってようやく出血は止まったかにみえた。

医者は僕を見てニコリと笑い、「リンパ節の周りは太い動脈が沢山通っているのでカットには危険が伴うんですよね」と補足的に説明した。はじめにその説明がなかったので、僕にはそれが言い訳に聞こえた。出血箇所の太い血管やリンパ管はちゃんと塞いだのだろうか? 医療についてまったくの門外漢の僕にはそれが確認できなかった。

我が子の首の周りは、看護師数人掛かりでガーゼやタオル等で一応は血が拭い取られていた。だがそれでも完全には拭い切れてはおらず、患部周辺のみならず、片側の前脚まで血の色で朱く染まっていた。さらに医師の白衣や看護師のエプロンにまで血は飛び散っていた。

我が子の毛色は茶と白の斑だが、白の部分が体毛の殆どを占めており、そうした白毛部分に付着した血の汚れは殊更に目立った。そういえばステンレス製の体重計を兼ねた診察台まで血だらけだった。拭ったガーゼやタオルも血でぐしょぐしょだ。

よくもまあこれだけの血が流れたものだと思いながら、人間の血液に換算したら1リットルを越える血液が失われたのではないかと思った途端、ふと恐くなってしまった。人間の場合全身を巡る血液の量は約3リットル。その1/3の1リットル以上失血すれば、緊急に輸血をしないと失血死しかねない。僕には五時間にも及ぶ切開手術の経験があるから当然それを知っていた。しかし献血制度もない犬の輸血は事実上不可能だ。その事実を知っていたからこそ恐くなったのだ。

止血後に医師からは今後の治療方針についていろいろな説明があった。患部に外部から病原菌が入って二次感染になる恐れもあるので、三日間は患部を洗わないようにと医師から伝えられた。散歩も出来ればしないで欲しいとも要望された。当然その指示に従った。

それと同時に念のためという名目で医師はリンパ腫の一部(検体)を検査に出すと言った。<良性>と診断したのにである。

そうして医師の診断と要望に従い暫く様子を見ることにした。だが一ヶ月もしないうちに腫瘍は新たに転移して、今や背中に四ヶ所も病巣を増やしていた。そうした顕著なリンパ腫の塊だけでなく、背中を中心に粟粒様の小さな塊が夥しく出来ているのを僕の指先は捉えていた。人間の指先は殊の外敏感だ。その指先が我が子の異変を察知し、その危険性をいち早く僕に知らせていた。

・・・『これは只事ではないぞ!』と。

更に一ヶ月後、嫌な予感は的中した。『疑念は必ず悪い形で実現する』という予感だ。

アメリカの研究所と提携しているというラボに出した検体の検査結果が届いたとの連絡が動物病院からあった。医師はそれで相談したいことがあるので我が子『Bちゃん』を連れて病院に来て欲しいという。そう言われれば行かざるを得ない。

結論を先に言おう。・・・結果は『悪性リンパ腫』だった。しかも急性だ。

このところ行く度に注射針を前脚に刺されたり背中を切除されたりそれで大量出血したりと、随分と痛い検査や治療をされてばかりだった我が子は、診察室に入るなり僕の腕の中で珍しくブルブルと震えていた。こんなに怯える我が子『B』を見たのは初めてだ。だが絶え間なく声掛けをしてあやし気を鎮めさせたせいか、それとも今日は何もされないと分かったからか、連れてきた当初は怯えかつ落ち着きがなかった我が子は、今では僕の腕の中に頭を突っ込み、すっかり安心したかのように目を瞑りジッとしていた。


だがその腕に抱かれた我が子の身体を触ると、気のせいだとは思うが数日前よりリンパ腫は背中に無数に転移し存在しているように思えた。毛足が長いからパッと見た目は分からないが、首根っこのリンパ腫は今や空豆大となり、それは僕の眼と触った感覚からすれば到底容認できるものではなかった。

そうした検査結果の説明の後、医師に今後の方針について実に軽い調子で二者択一を迫られた。

悪性リンパ腫だと宣告されただけで少しばかり動揺しているのに、飼い主としての今後の対応をいきなり問われたのだ。それに因れば、温存療法という形でこのまま対処療法としての延命治療以外は何もしないか、積極的に外科治療と抗がん剤治療を施術するかという二者択一を『飼い主としてせよ』、という話のようだ。

気休めにしか聞こえなかったが、治療をしなくてもすぐに死ぬ事はなく発症から二年以上生きた例も結構あるという。だがその場合、多くは身体は腫瘍だらけになり、見た目にもそれはハッキリと分かるほどだという。またその末期は、痛みで『B』自身相当苦しむことになるだろうという説明であった。

誤診とまでは言えないだろうが、当初から診断が悉く外れてばかりのこの医師の説明だったので、僕はその説明を素直に受け取れなかった。だから今の説明が、まるで『我が子の醜い姿を見たくなかったら積極的な外科手術や抗がん剤治療をせよ!』と言わんばかりに、僕には聞こえてしまったのだった。

正直に言えばその時点で『B』の今後のことを深く考えていた訳ではない。だが僕には懸念があった。

「今すぐここで返事をしなければなりませんか?」

「このまま放置していても良いことは何一つありません。手術するしないという結論なら一ヶ月後までならお待ちします」

僕は、ならば一ヶ月待ってくれと、医師に伝えた。次回の診察日が決まった。

そう言ったのは様々な理由があったからだが、一番の理由としては経済的な事情である。一旦手術となれば、それこそとんでもない費用が掛かることが分かっていた。実際、我が子『B』の医療費は、過去に骨折や尿道結石等の計三回の手術で一回につきウン十万円、総計で百万円以上の支出があった。例えば今回の検体病理検査票の発行だけで5万円の請求があり、その他診察代や諸々の料金がそれに加算される。しかもこの病院の場合、クレジットカードでの支払いは一切利かない。だからこの病院に行く時には、いつも十万円くらいは現金で持ち合わせていなければならない。仕事場での昼飯は、四百円もしない仕出し弁当を食べて節約している僕がだ。

十年前からフリーランスになり収入は不安定だった。今や蓄えも潤沢とは言い難い。動物医療保険にも入ってはいなかったから、結局は相当な支出を余儀なくされるのが目に見えていた。

だが結局僕は、積極的に癌治療する道を選んだ。

まずは外科治療を七月初旬に実施した。その時点で一番大きな腫瘍は、あのカットして大量に出血した箇所だった。首の付け根のその病巣は、直径がゴルフボールには少し足りない程度の大きさにまで増殖していた。今では僕だけでなく誰が見てもその異変は明らかだった。何だかノートルダムのせむし男かバッファロー(アメリカバイソンの異称)のように、背中が瘤状に盛り上がっていた。

その一番大きく目立つリンパ腫の摘出手術をした。切開長は7cm、縫合には10数針縫ったと記憶している。これは小型犬にとっては大手術である。術後はエリザベスカラーを取り付けられた。その後一週間は、立てばヨロヨロと歩き、歩を進める度に痛いのか「キャン!」と短い叫び声を上げていた。その姿は見ていてとても痛々しかった。

その後も術後の転移を防ぐため、一ヶ月集中的に積極的な抗がん剤治療をした。

積極的な治療をすると決断して以降、僕には一切迷いはなかった。

そうして施術と、その後一ヶ月間の治療を終え、他の患部の病変も一旦は縮小した。病状は一見して快方に向かったかに思えた。だが安心したのもつかの間、術後二ヶ月経った九月には更にリンパ腫が転移していた。僕はある日、背中だけでなく鼠径部にまで癌が転移しているのを発見した。

不安は再び顕在化した。切開手術の際は、これ以上できないというほど広範囲に癌細胞とその周りの病変していない細胞まで切除していた筈だ。念には念を入れて、健康な組織も含めて患部の周囲まで多めに切除したとの説明を受けていた。そこまでして慎重に進めた手術だった筈だが、結局のところの悪性リンパ腫という癌細胞を、完全に身体から取り除くことは出来なかったのだ。

リンパ節は身体の至る所にありリンパ管で繋がっている。そのリンパ管を通ってリンパ球は全身を循環している。同じようにリンパ節に発生したリンパ腫という癌細胞も、このリンパ球と同じく全身を駆け巡るだろう。更に言うならば、リンパ種という癌細胞はリンパ球同様容易に血管内に侵入できると思われる。殊にその病巣の膜を切除などによって破られれば尚更であろう。素人でも考える頭があれば容易に想像できることだ。

それからすると切除手術時には既に他の部位にまでリンパ腫は転移していたと考えられる。それだけでなく、手術時に切除されたリンパ腫から零れ落ちた微細な癌細胞が、リンパ管や血管を介して全身を駆け巡り更に広範囲にリンパ腫をばら撒いた可能性は否定できない。

そうした転移の危険性があったからこそ、術後に抗がん剤治療をしてそれを防ごうと試みたのではないか。だが結局はそれは徒労に終わった。この種の抗がん剤は、この悪性リンパ腫にはあまり効果がなかったのだ。

しかし僕の苦悩と我が子の苦難と苦痛はそれだけでは終わらなかった。

弱り目に祟り目、その日診察を受けた我が子と僕の前に、今後待ち受けているであろう残酷な現実が突きつけられた。更に言えば、その掛かり付けの医師から告げられたもう一つの現実で、僕の頭は一瞬真っ白になった。

またもや二者択一を迫られたのだ。

しかも今回ばかりは、前回同様に医師から軽い調子で言われた訳ではない。

迫られた内容は『B』の命と運命に直結する切実な話だったのだ。

それはこのまま延命治療を続けるか、それとも敢えて治療はせず死を待つかの究極の選択だ。それは、もはや病気は治癒しないし、死ぬ事を前提としていた。その意味するところを知った僕は、この現実を俄には受け入れられなかった。

ボウッとする僕の耳に医師の言葉が空しく響く。「積極的な抗がん治療はしなくても、延命治療をすれば一年程度は生き延びる可能性がありますよ」・・・僕はその意味すら理解できず、すぐには返事ができない。何もかも気休めにしか聞こえなかった。

その様子を見た医師はさらに説明を加えた。今度は前回とは真逆の説明だった。

それに因れば、抗がん剤治療をするにしても今まであまり効果を発揮していない抗がん剤をこれからも投与し続けるしかないという。しかもその効果はあまり期待できないことに加え、なおかつ治療による副作用まで考慮に入れると、『Bちゃん』の苦痛を長引かせるだけか、却って余命を縮めかねない・・・と言われた。

それは『もう打つ手がない』と宣言したも同然だ。僕はその現実を受け止められない。

その話の最後に、副作用の中で最も危惧されるのは『誤嚥性肺炎』だと初めて聞かされた。過去一ヶ月の抗がん剤治療で使った注射や飲み薬で、嘔吐(えず)いたことは一度もなかったのでサラッと聞き流した。それよりも余命宣告された事で頭が一杯だったのだ。

 

だが僕はそれでも前者を選ばざるを得なかった。

 

我が子は人間の年齢に換算すればもう老境にとうに入っている。抗がん剤治療をしてもしなくても、余命は一年と違いはないだろうと宣告されたにも拘わらず、そう決断したのだ。

それは僕の我が子に対する罪の意識に基づいたものだ。もう遅いかも知れないが少しでも我が子と一緒にいる時間を取りたい、我が子の幼い頃のあの幸せだった時間を共に取り戻したいという、甚だ自分勝手な理由によるものだった。

そんな愚かな想いに取り憑かれていた僕だが、我が子の方は自分の死期を悟っていたに違いない。

だがそうして選択した抗癌剤治療の継続が、却って我が子の死期を早めてしまった。

抗がん剤の副作用の一つである強い嘔吐が原因で、医師が指摘し危惧していた誤嚥性肺炎に罹り、しかもその時点ではレントゲン検査でも症状を確認することが出来ず、一週間後の再検査で結局のところ片肺が壊死していた事が確認されたのだった。

体力を激しく消耗するほど、長時間に及んで咳き込んだその日以来、彼はご飯を殆ど口にしなくなった。水もあまり飲まない。あんなに活動的だった我が子だが、今では日がな一日体を横たえて浅い息をしている。しかも時折老人のような苦しげで弱々しい咳をする。

体は見る見るうちに痩せ細っていった。

そらから十日ほど経った三日前に、我が子は呼吸困難に陥った。

妻から連絡を受け、仕事場から急遽帰宅した僕は、そこに息絶え絶えの我が子の姿を見た。

僕は身近な人が同じ症状になった時にその一部始終を見ていた。その時の経験からすれば、死滅した片肺から病原菌が血液とリンパ液を通して全身に回り、敗血症を発症し循環器障害と敗血症性ショックを引き起こしている恐れは大だと、素人目にも判断せざるを得なかった。

僕は寝ずの看病をした。(とは言っても声掛けをし続けて、ただ見守るしか出来はしなかった)

その夜の我が息子の呼吸はその小さな体からは想像すらできないまるで鞴のような荒々しさだった。

 

 

 

その日から三日後、覚悟のその時が遣って来た。

 

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